5分で分かる指導技術 「自分事の学び」を創り出す「教材との出会い」の演出 -説明文編-
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執筆者: 小泉 芳男
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今月の5分で分かるシリーズは、小泉芳男先生(広島県・広島市立袋町小学校)に、説明文における「自分事の学び」を作り出す「教材との出会い」の演出についてご提案いただきました。子どもが「『学び』と『自分』との接点」を見出す教材との出会いとは何か、4年生で扱う2教材での実践の具体をもとに、一緒に学び、考えていきましょう。
令和3年1月に公表された中央教育審議会答申「『令和の日本型学校教育』の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現~」を受け、日本全国で「個別最適な学び」と「協働的な学び」を一体的に充実し、「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善が進められている。
しかし、ともすれば目先の方法論にばかり目を奪われ、大事なことを見落としてはいないだろうか。「個別最適」も「協働的」も確かに大事であるが、そのような学びが実現するためには、まず何より子ども自身が「学びたい」と感じていることが大切である。子ども自身の「学びたい」「分かりたい」という思い― つまり、学びを「自分事」として捉える「自分事の学び」意識である。「自分事の学び」の姿を端的に示せば、子ども自らが学びの主体者になっている状態と言える。
つまり、授業という場の共有に留まらず、自らの主体を「学び」へと傾けながら、学びに向かう姿である。そのような姿が実現すれば、必然的に学習は個別化、個性化し、子ども同士や教師との協働も効果を発揮していくだろう。
鹿毛(2007)は、「切実な学び」という考えを示し、子どもが学ぶ対象と自分との接点を見出すことの重要性を以下のように指摘している(下線は稿者)。
人はわざわざ教えられなくても、切実な気持ちを抱いたときには自然と学ぶものである。ただし、このような「切実な学び」は、学ぶ対象と「自分」との接点が見出されなければ生じない。(p.5)
「自分事の学び」を創るためには、教材との出会いで、子どもが「『学び』と『自分』との接点」を見出す―つまり「問い」意識をもつことが重要である。
説明文教材との出会いで「『学び』との接点」を見いだすために有効な方法として、「題名の活用」が挙げられる。ここでは、その授業アイデアの具体として、4年生の2教材を示す。
教材名:「世界にほこる和紙」(光村/4年上)
授業の冒頭で子どもたちに実際の和紙を配付し、「これ、何だと思う?」と問いかける。
「特別な紙?」や、「何かの切れ端かなあ?」など、子どもたちの呟きが生まれる。「実はこの紙は『和紙』って言うんだよ。」と伝えると、「聞いたことある!」「知ってる!」という反応が返ってくるだろう。そこで、「どんなものに使われているか知っている?」と、「和紙」に関する子どもの知識を引き出していく。語ることで、子どもの中には自然と「和紙」との接点が生まれていく。
一通り子どもの既有知識が表出したところで、「世界にほこる和紙」という題名を提示し、「この『和紙』って世界に誇れると思う?」と問いかけ、「とても誇れる」「まあまあ誇れる」「あまり誇れない」の3段階スケールを用いて評価を促す。評価後はその理由を語らせ、本文と出会わせる。本文を読んだ後は再度、同じスケールに今度は赤で評価させる。
さて、本文を通して「和紙」への評価は変わるだろうか。
おそらく、多くの子どもが和紙への評価を高めるのではないだろうか。理由を問えば、それぞれが着目した段落についての発言が出てくるだろう。本文と出会う前、出会った後の評価の変化から、「筆者のどんな述べ方が、自分たちに和紙をすごいと感じさせるのだろう。」といった問い意識が生まれ、その解決に向けた授業が動き出していくだろう。以下に、本時の板書例を示しておく。
教材名:「ウナギのなぞを追って」(光村/4年下)
「ウナギのなぞを追って」という題名を提示し、「『ウナギのなぞ』ってどんななぞだと思う?」と、子どもに問いかける。子どもたちからは、「なぜヌルヌルしているのか」「なぜ長いのか」「骨はあるのか」などの「なぞ」が出されるだろう。
「ウナギのなぞ」への関心が高まった状態で本文に向かうことで、自分たちが予想した「なぞ」と教材で取り上げられている「なぞ」との違いが自然と話題になる。
すると、「ウナギのなぞ」とは、ウナギの生態であり(1段落)、その研究の第一歩としての卵を見つける調査(3段落)について書かれた文章であることがスムーズに読み取れる。
「なぞ」についての予想が教材との接点となり、「『ウナギのなぞ』って、どんななぞなのだろう」という「問い」意識をもって教材に向かうことが、文章の読み取りにも有効に働いていく。
「ウナギのなぞを追った塚本さんについてどう思うか」と問えば、塚本さんの研究に対する情熱などが話題となり、インタビュー活動を使った要約指導につなげていくことも可能である。本時の板書例は以下の通りである。
教材との出会いが、「とりあえず本文を読んで、初めて知ったことや疑問などの、初発の感想を書く」といった学習であれば、子どもが教材を読む必然性は生まれず、学びも「他人事」のままである。
今回はそのような状況を打破し、「自分事の学び」を創り出すきっかけとなる、題名を活用した授業アイデアを示した。「自分事」は楽しい。「他人事」はつまらない。だからこそ、子どもにとっての「自分事の学び」を実現することが大事である。ぜひ我々教師が「自分事」として考えていきたい。
〔引用・参考文献〕
鹿毛雅治(2007)『子どもの姿に学ぶ教師「学ぶ意欲」と「教育的瞬間」』教育出版
小泉 芳男(こいずみ・よしお)
広島県・広島市立袋町小学校
全国国語授業研究会監事/中国・国語教育探究の会事務局/「子どもの論理」で創る国語授業研究会理事/全国大学国語教育学会会員
近年、様々なところで耳にする「探究」。このキーワードが学習指導要領に位置付けられたのは2008年、なんともう16年も前のことである。 大きな自然災害や世界中で猛威を振るった感染症など、想像もしていなかった様々な出来事が次々と起こり、変化の激しさを実感せざるを得ない現在では、「探究する国語授業」が自分の一番の研究テーマとなっている。 答えのない問題を解決しなければならない社会。このような社会で生きていく子どもたちは、「探究する学び」が必要であろう。授業後も学び続ける子ども、答えのない問題に向き合い粘り強く解決していこうとする子どもを育てていかなければならない。
本教材において、子どもたちが自分なりの意見をもち、話し合い、個性を認め合うことで、一人ひとりの多様さが生きる授業づくりを、髙橋達哉先生(東京学芸大学附属世田谷小学校)にご紹介いただきました。 本教材で身に付けたい力から指導内容を明確にした上で、「その子らしさ」を生かした授業を計画することで、拡散ではなく、それぞれの軸をもった子どもの「多様さ」が発揮されるようになるでしょう。
今回は小崎景綱先生(埼玉県・さいたま市立新開小学校)に、令和6年度に本教材が改訂されたことを踏まえ、「以前の文章に変更を加えることで、筆者はどのように、何を、読み手により伝えたかったのか」といった、説明文の工夫における意図や思いに迫ることで、「筆者を読む」力が身に付く授業づくりをご提案いただきました。
今回は藤平剛士先生(相模原女子小学校)に、本教材の前にある詩「生きる」と合わせて、「生きるとは何か?」といった答えのない問題を設定することで、6年生の子どもたちが今の自分と向き合ったり、探究的な見方・考え方を育めるような授業づくりの工夫をご提案いただきました。
新教材「銀色の裏地」は、新年度初めの高学年にとって身近な事柄がテーマとなっている物語文です。中心人物「理緒」の大まかな心情の変化は捉えやすいものの、細かい描写において、なぜそう思ったのか(行動したのか)明確には表現されていないため、叙述を基に、登場人物に感情移入して想像したくなります。 今回は山本純平先生(東京都・江東区立数矢小学校)に、「言ったこと」「行ったこと」「思ったこと」「繰り返し出てくる表現」の観点から細かく描写に着目し、本教材の学習後も、自力で物語文を読み進められるような力を育む授業づくりの工夫を、ご提案いただきました。
今月の「5分でわかるシリーズ」は、秋山千沙子先生(東京都・目黒区立上目黒小学校)に、子どもたちが主体的に書く学習に取り組めるための工夫をご提案していただきました。 書くことに苦手意識をもつ子どもにとってハードルが高い「新聞づくり」単元を、「オリジナル話型」を活用した話し合い活動を取り入れることで、相手意識、書く目的を自覚することにつながり、意欲的な取り組みにつながります。