5分でわかる 〈空所〉でつくる文学の授業
|
執筆者: 古沢 由紀
|
1月号の「5分でわかるシリーズ」は、古沢由紀先生(大阪府・大阪市立柏里小学校)に、想像する主体性を引き出す文意としての余白でありながら、読みの深まりとともに異なる解釈を形成させる、〈空所〉の効果とその構造的役割についてご執筆いただきました。
後半では、2年生文学教材「ニャーゴ」における、最後の「ニャーゴ」を〈空所〉として取り上げる授業実践例が紹介されます。
文学の授業において、読者論を重視する流れは、学習者を受動的な読み手から脱却させ、主体的に文学作品を読むことに大きな意義をもたらした。読みの多様性が重視される一方、それがどのように根拠としてのテクストに着目したもので、どのように思考したのかまでは十分に扱いきれておらず、思考を言語化すること(考えを表出すること)自体が目的化している面もある。
山元(2025)は、「学習の過程で読む行為に対する『メタ認知』を生徒たちがもつことができるようにすることが、自立した読者としての成長につながる」と提起する[ⅰ]。
こうした視点に立つと、文学の授業において、指導者は学習者自身が作品のどの部分にひっかかりを感じ、どのような問いをもって読み進めていくのか、読みの道筋に着目する必要がある。
本稿では、イーザーの〈空所〉概念に着目し、それを手掛かりにした教材研究と授業実践を紹介する。
〈空所〉を起点にすることで、学習者が自分なりの解釈を交流することを通して、読みを深める授業の在り方を考えていく。
Wolfgang Iser(1926)は1960年代後半から1970年代にかけてドイツで展開された受容美学の立場から、文学作品の意味はテクストにあらかじめ固定的に内在しているのではなく、読者の読書過程によって生成されると提唱した[ⅱ]。 その際、テクストに対する読者反応を中心とした読書行為論を構築し、その中心的概念として提示されたのが〈空所〉および〈否定〉である。
松本(2015)は次のように述べている[ⅲ]。
テクストには本来書かれてしかるべきことがらの中に、書かれていないことがあり、その間を読者が想像力を働かせて埋めつなぎ、一貫した意味をつくり出さなければならない。そうした働きをするテクストの要因・箇所を〈空所〉という。しかし、読者がそのようにして紡ぎ出す一貫した意味を否定するような要素がテクストにはあり、そのような働きを〈否定〉という。読者は〈空所〉を埋めて一貫した意味を紡ぎながら、自らの考えを〈否定〉するテクストの作用によって、自らの読みにおける意味の体制の更新を行う。
〈空所〉とは、テクストの中に、書かれてあるべきことがあえて書かれておらず、読者がその意味を想像し、補いながら読まざるを得ない箇所を指す。〈否定〉とは、読者が〈空所〉を埋めることで形成した理解に対して、テクストがそれを揺さぶり、修正を迫るように働く機能を指す。例えば、読者が一度つくり上げた読みが、後の叙述や別の視点によって成立しないと気づいたとき、その読みは根拠となるテクストを求めるため、読みが新たに更新されることになる。この〈否定〉とは、読みを妨げるものではなく、むしろ読みを深めるために不可欠な働きである。〈否定〉によって、読者は自らの読みを見直し、より一貫した理解へと組み替えていくことが可能となる。[ⅳ]。
さらに山元(2005)は〈否定〉の機能に加え、読者の慣習に影響を及ぼす第二の〈否定〉が「読者のものの見方に向かう」として、文学作品の読解が新たな自己形成へとつながる契機になると言及した[ⅴ]。
〈空所〉に向き合う中で、想像力を働かせながらその箇所の意味を補おうとするが、その補填は自由な想像に委ねられるものではなく、テクストの表現から逸脱しない形で行われる必要がある。そのため、〈空所〉を埋める際に一貫性が保たれない場合、形成した理解は〈否定〉される可能性を常に含んでいる。読者は〈空所〉を埋めて一貫した意味を構成しながらも、テクストに内在する〈否定〉の作用によって、その意味を再構成していく。〈空所〉は主体的な読みの活動を促すとともに、テクストとの相互作用を生み出す機能をもっている。
〈空所〉は、テクストの欠陥や未完成さを意味するのではなく、読者を読者行為へと誘発する契機として機能する。つまり、読みを無条件に肯定するのではなく、あくまでもテクストの構造によって方向づけられる。この点を見失ったとき、〈空所〉は恣意的に解釈を許すことになってしまうため、学習者が空所の補填を試みながら読みを形成していく学習過程を考える必要がある。
以上の理論を踏まえ、学習者自身の「不思議だ」「ひっかかるな」といった感覚を起点に、〈空所〉を問いとして顕在化させ、テクスト内の関連性を探りながら読みを更新していく学習過程をデザインしたい。
本実践では、低学年教材である「ニャーゴ」(東京書籍 2年)を取り上げた。本作品における最大の空所は、物語の最後に示される三度目の「ニャーゴ」の意味である。
物語冒頭と中盤に示される「ニャーゴ」は、文脈から比較的明確に意味づけることができるが、最後の「ニャーゴ」は、たまが子ねずみたちを食べなかったという結果のみが示されており、その内面や意図は明示されていない。このため、読者は最後の「ニャーゴ」をどのような言葉として受け取るかによって、たまの行動理由も異なって理解することになる。
つまり、「なぜ食べなかったのか」という問いの前に、「最後の『ニャーゴ』とは、どんな言葉だったのか」という〈空所〉の存在が明るみになり、これまでの読みを更新する〈否定〉の箇所としてはたらき、物語理解の結節点となる。
本授業では、最後の「ニャーゴ」を〈空所〉として扱い、学習者が自分なりの言葉でテクストやこれまでの展開と照らし合わせながら読みを更新することを通して、読みが形成されていく過程そのものを学習の中心に据える。
以下に、その単元構成と発問の工夫を紹介する。
この授業では、「ニャーゴ」の最後の一言に立ち止まることで、〈空所〉を起点に、〈空所―補填―否定―更新〉という学習過程が生起すると考えられる。このように、〈空所〉を中心に据えることで、学習者の自由な読みを保障しつつ、読みがテクストに規定されていることも同時に学ぶ、主体的な授業が成立すると考える。
【引用・参考文献】
古沢 由紀(ふるさわ・ゆき)
大阪府・大阪市立柏里小学校
全国大学国語教育学会/日本国語教育学会/国語科学習デザイン学会/全国国語授業研究会/国語教育探究の会/「子どもの論理」で創る国語授業研究会/国語教育伸の会(代表)
