様々な「対話」で授業をつくる -文学作品を読む-
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執筆者: 弥延 浩史
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国語科の授業で陥りがちなことがある。それは、積極的に対話している姿から、「対話によって子どもの思考が深まった」と短絡的に判断してしまうことである。
例えば、ここで研究授業後の協議会の場面を想像してみてほしい。
「積極的に子どもたちが対話していて素晴らしかった」というような意見が出たとしても、それが対話の質的な面と結び付いているかどうか疑問符がつくことはないだろうか。また、形式的に対話している姿はあったが、話している内容は果たして深まりのあるものだったか疑問符がつくこともある。
対話と聞くと、「目の前にいる自分とは別の誰かと話し合い、意味を共有し合うこと」というように捉えがちである。もちろん、これも対話であるが、それは狭義の意味であり、国語科における対話はもう少し広くとらえる必要がある。また、会話が「互いに話したり聞いたりしながら共通の話題を進めていく」ということに対し、対話には「相互理解のためのコミュニケーション」という意味合いが強いことも押さえておきたい。
国語科における対話について、「読むこと」の学習で考えると次のように整理することができる。
