読み手の自覚をもち、表現の工夫をヒントに物語を読み解く ―「川とノリオ」―
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お知らせ:
執筆者: 小崎 景綱
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単元名:あなたはノリオになんて言ってあげたい?
教材:「川とノリオ」(教育出版・6年)
今回は小崎景綱先生(埼玉県・さいたま市立新開小学校)に、教材「川とノリオ」を通して、登場人物に寄り添う読みと、読者として見つめる読みを行き来し、物語を深く味わう授業を提案していただきました。
子どもたちが自ら問いを立て、色彩や比喩の表現、題名に込められた意味を話し合いながら、作品の解釈を深めていき、終末では、ノリオに届けたい言葉を手紙などにまとめ、読み手としての「私」が受け取った思いを表現します。
互いの考えを共有することで、多様な読み方にふれ、悲しみを抱えながら生きる姿や、それを描く文学の奥深さに迫ることができます。
目次
多くの場合、子どもたちは登場人物に寄り添って、あるいはなり切って、作品世界に入っていく。つまり、年齢が低いほど、同化する読み方が多い。
「このとき、スイミーは何を思ったのかな」
「ごんは、この景色に何を感じているのかな」
人物の行動や会話、情景などの描写を基に人物の心情を具体的に想像していく読み方が、一般的である。低学年ほど、その人物になり切って音読したり、ペープサートなどで形にしたものを操作したりしながら、物語の世界に入っていこうとすることに抵抗がない。ぬいぐるみでの劇遊びやアニメや漫画の登場人物になり切った○○ごっこ(ドラゴンボールごっこ)なども低学年や中学年にはよく見られる。
発達するにつれて、自分と作中の登場人物を同化する読みと同時に、異化する読み方を獲得していく。例えば、ちいちゃんのかげおくり(あまんきみこ)の結末場面、 「ちいちゃんは、きらきらわらいだしました。わらいながら、花ばたけの中をはしりだしました」
という文章を読み、一見して「よかった。ちいちゃんはわらっている」と文字どおりの感想をもつ子どももいることだろう。しかし、次の文、
「なつのはじめのある朝。こうして、小さな女の子のいのちが、空にきえました」 を読んだときに、ちいちゃんが亡くなったことがわかり、ちいちゃんに寄り添って「よかった」と思っていた自分の感想を書き換えることになる。異化した感想をもつことになるのである。「ちいちゃんはわらっているけど、なんて悲しい終わり方なんだろう」と登場人物から離れ、それを見つめる読者としての「私」が感想をもつ経験をする。
前置きが長くなってしまったが、「川とノリオ」もそのように、読者としてノリオを見つめることで、単純には言い表せない様々な思いを抱かせてくれる作品である。
ノリオに寄り添おうとしても、「赤んぼのノリオ」や「幸せな2歳の神様だった」ノリオの心情を想像するのは難しい。物語の終盤になって、ノリオが小学2年となり、やっとノリオの心情が想像しやすくなるが、それまでの場面は、川など周辺の描写、母の行動、ノリオを取り巻く状況を基に、物語を見つめていく作品になっている。
作中の「青いいぬのふぐり」「ノリオの世界はうす青かった」や「青いガラスのかけら」「青々しげった岸辺の草」「青い空を映しているやぎの目玉」が何を表しているのか。その他にも「黒いゴムぐつ」「まっさらの麦わら帽子」「黒いパンツ」「鉛色の川」などの色彩表現をヒントに、ノリオの言葉にできない心情に思いをはせ、物語の世界を具体的に想像していきたい。
また、題名「川とノリオ」が何を意味しているのか。川はノリオにとってどのような存在なのかを考える必要がある。
母や父を亡くし、じいちゃんの子になったノリオ。
タカオの父ちゃんを見つめるノリオ。
やぎっ子の干し草かりをするノリオ。
子どもの手を引いた女の人を葉桜の間から見るノリオ。
様々な思いを抱えながら、かまを使って草を刈るノリオ。
「サクッ、サクッ、サクッ、母ちゃん帰れ」
「サクッ、サクッ、サクッ、母ちゃん帰れよう」
母が戻らないことを知りながら、母を求め、どうしようもない思いの中で懸命に自分の仕事に取り組むノリオ。
どんなときでも川はノリオのそばを流れている。物語の冒頭から、結末のその後もずっと流れている。自分を取り巻く状況が大きく変わっても懸命に生きるノリオに寄り添うように、川は休まず流れ続けている。読者によっては、川が象徴しているものが、生きることの辛さと読むかもしれない。また、人生が続いていく、逆境に負けずに必死に生きているという強さと悲しさを象徴したものとして受け取る読者もいることだろう。
様々な思いをもちながら、最終的には、読者「私」としてノリオにどんな言葉をかければよいのかを考える授業にしていきたい。
