「言葉の響き合い」から世界をひらく ―五月と十二月の対比から迫る「やまなし」の授業づくり-
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執筆者: 山田 秀人
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教材「やまなし」について、子どもたちが「正解探し」ではなく、言葉を手がかりに対話しながら読み深められるような授業実践を紹介します。
今回は山田秀人先生(東京学芸大学附属世田谷小学校)に、五月と十二月の2枚の幻灯を対比的に捉え、比喩表現や作品構造を視覚的に整理することで、多様な解釈を交流しながら主題に迫るアイデアをご提案いただきました。
小学6年生の国語科において、宮沢賢治の「やまなし」は時代を超えて教科書に掲載され続けている定番教材である。しかし、同時に多くの授業者を悩ませる教材でもある。
「クラムボンって結局何ですか?」
「イサドってどこにあるの?」
子どもたちから次々と湧き上がる素朴な疑問に対して、私たち教師はつい「正解」を教えたくなってしまったり、あるいは難解な象徴性の解説に終始してしまったりすることはないだろうか。結果として、子どもたちが「よくわからないけれど、なんだかきれいなお話だった」という一過性の感想で終わってしまうケースを、現場の先生からよく耳にするし、自身も反省するところである。
特に近年の子どもたちは、明確な正解やコスパ、タイパのいい要約を求める傾向が強まっていると感じることがある。そのような中で、一見すると意味がわかりにくいファンタジーや、情景描写の比喩が重なり合う文学作品に出会ったとき、子どもたちは「正解がわからないから、発言しにくい」「間違えたら恥ずかしい」と、思考のシャッターを閉ざしてしまうことがある。
私は、国語の授業の本質とは、単一の正解にたどり着くことではなく、「言葉を手がかりに、自分なりのイメージを広げ、仲間と響き合わせるプロセス」そのものにあると考える。
わからないことを「わからない」と言えること、そして「自分はこう思うけれど、みんなはどう?」と、自分の内側にある思いや考えを仲間に向けて「ひらく」こと。このような「ヘルプシーキング(適切な援助要請)」や「自己開示」の姿勢こそが、これからの時代を生きる子どもたちに必要な資質・能力であり、それを保障するのが安心をベースにした授業づくりだと考えている。
本教材『やまなし』には、子どもたちが思わず語り合いたくなる「謎」や、五感を刺激する豊かな比喩表現が溢れている。
本実践では、ビジュアル資料を効果的に活用しながら、子どもたちが言葉の奥にある「色彩」「光」「命の循環」「家族」など宮沢賢治の世界観を主体的に読み解き、安心して対話を楽しめる授業づくりを提案したい。
